地球温暖化はあくまでも二酸化炭素の排出だとする考えが今日の世界の大勢だが、一方で2050年に排出量を「0」とする目標の実現達成の可否には懐疑的な意見も出始め、逆にこれを目標とする行動自体に無理があり、その実現が危ぶまれるという論調も見られる。
例えば世界の「削減実績」を見ると、優等生といわれる日本では、グーグル検索によれば(何れも西暦)24年度時点で13年度比28.7%、欧州90年度比35.6%、米国05年比18%、中国はデーターが明らかにされておらず、世界の温室効果ガス排出量の約3割を占めると言われている中、太陽光や風力の発電容量、EVの生産・普及率ともに世界シェアを圧倒し、石油由来のクリーン化(運輸部門の脱炭素化)は進んでいると伝えられる中でも具体的な数値は聞こえて来ない。送電網の管理不足で、せっかく発電した再エネ電力を使い切れず、再エネにつきものの不安定さ故、未だに多くの石炭火力を稼働させ、悪化している?状況を詳らかに出来ないのか、それとも元々わが道をいくという独善からか。同国では25年度時点で59基の原子力発電所が稼働し、更に増設を進めているのであれば、排出量削減には大きく貢献しているように思うが、赤いベールに覆われた国で何が行われているのかは計りようがない。(日本の基準は13年度はパリ協定による)
このような不透明な中国がパリ協定に参加し、35年までに7~10%の削減を表明しているのは、排出量の割合の多寡と比べてもけっして十分な目標とはいえないが、秘密主義の国というか、おそらく社会構造的にはこれさえも実現出来ない予感がする。いつか「後進国」立場を主張し、逆に先進国による「積年の排出の罪」に問題をすり替える時期が来るかもしれない。このように現状では〝先進国〟中心の計画推進に見える世界行動は、徐々に不公平感が明らかとなり、計画達成は砂上の楼閣となるような気がする。中国の横暴・横柄はなぜ許され続け、都合の悪いときは「後進国」、反対に良いときには「先進国」を使い分ける国が、現今の世界の中心に近い所にいる。そうした中で、米国はグローバル化推進主体の欺瞞を理由として、計画からの離脱を叫ぶ。これが「木を危機に陥れている」世界の現在地と先ず押さえておく。

メタセコイア 玉川2丁目の駒沢通りに旧用水(暗渠)が交差する地点に、「門」の様に聳えている。国分寺崖線を下り玉川地区に進入する場所なので、樹齢から想像し鋪装されていなかったとすれば、用水の場所を知らせる意図があったのかも知れない。写真:左は2011年撮影で、右は2023年で悲しいほどに枝がバッサリと刈られてしまった。駒沢通りの拡幅事業が時間をかけて進められているので、もしや移植ではと妄想に囚われていたが杞憂に終わり、どうやら道路の見晴らし対策で、現在は往時より多少細身になって健在である。絶滅したと思われていたところ、1945年中国で発見され「生きた化石」と呼ばれている。花言葉は「平和」という。
研究では無いので表面的な見方しかしないが、統計の基準自体が各国バラバラで統一されていないことを踏まえると、どうやら真面目な取り組みとなっていないような気がして、悲しいかな中国の現状が正直な世界の実態を表しているようにも思える。おそらく日本が一番正直な現状を示しているとすれば、13年当時の世界のエネルギー起源CO₂総排出量は約322億〜329億トン《「IEAなどの統計によれば、国別排出量では1番中国(約28%)、2番米国(約16%)、3・4番インド・ロシア(約5~6%)5番日本(約4%)、ほか地域として欧州(約13%)、その他(約27%)》に対して、わが国の10年間の合計削減実績が約4億トンなので、単純にみて1年間で4千万トン、13年の排出総量が約12億トン(因みに24年度は約10億トン)だったとしても、世界規模的に見て、排出量とその削減実績は共に小さい。それでも京都議定書に縛られているので、独楽鼠のような努力を続けているが、わが国から世界を眺めれば、果たして「50年排出量「0」」の実現は現実的なのだろうか。「見果てぬ夢」と思える所以である。
「太陽光パネル」の悲哀
太陽光パネルは決して悪者ではない。長年人類が太陽光の利用を追求し、辿りつた英知の一形態であり、更に続くだろう研究の足掛かりだったはずだ。正しく常識的に管理され安心安全が保障されれば、公正価格となり普及はゆっくりだろうが、個々人の家庭の電気代を削減する一助ともなれば、初めの一歩という真の「希望」の存在となったはずだ。惜しむらくは、東北大震災なかりせば、利権に翻弄されることなく、わが国の野山を黒く覆うこともなく、日本国の緑の大地を傷つけることは無かったと、つくづく残念に思う。太陽光パネルの悪印象が日本人の頭に残るという、不幸な境遇となってしまった。
太陽光パネルは排出量完全に0(ゼロ)という金看板がある。東北大震災で原子力発電の多くが止まり、火力発電で急場を凌いだものの、総排出量が約13億トンから過去最高の約14億トンまで急増し、政府はなりふり構わず、再エネ推進に舵を切った。そして「再生可能エネルギー」中でも希望の星のような位置づけで、パネルの導入に全力をあげた。
中国の安い太陽光パネルは各国の製造を淘汰していて、結局主流になっていた。コストを下げる為に強制労働的な製造に頼る国、環境面で負荷が大きいという問題も常識的な国の撤退理由にあるが、元々〝他国のウィグル〟での製造であるならば全く頓着していないだろう。かの国の利益の為なら何でもあり的な発想、又、パネルは製造した国の排出量となる事なども知ってか知らずか、これも含めて排出量統計を明らかにできない一因なのだろうと想像する。日本が藁にも縋るようにして中国製パネルを導入し、同時に自国の排出量を減じるご都合主義は、何れ、かの国の実状が明らかに成った時に明らかにされ、もし想像通りとした場合、その罪は誰が負うというのか。
民主党政権の「悪夢のFIT制度」はこの時から始まっている。当初家庭の負担額は、月額約66円、それが25年度平均では月額約1,047円まで上がり、巷間、隠れた増税と言われている。復興税は仕方がないと思う反面、再エネ賦課金がこれ程大きくなって家計を苦しめることは、「聞いてなかったよ」と国民が嘆くのも無理はない。97年の京都議定書(約束)に忠実になるわが国の性(さが)、緊急事態だからと頬かむりして、計画の後退も止む無しと腹を括る政治家の不在、逆に「悪逆」政治家は利権を掘り出し、官僚も頑固に国際約束に拘泥する。一連の流れのどこにも、国民を蔑ろにしている事への躊躇いが窺えない。大災害の中、国民各層が打ちひしがれている中での出来事を忘れてはならない。

ケヤキ 写真:左 岡本1丁目・長円寺境内、中 瀬田1丁目・個人宅、右 瀬田2丁目・けやき公園。国分寺崖線の上にはケヤキの大木がよく見られる。夏は発見しにくいが葉を落とすと独特の姿を現す。けやき公園は地元の名主だった長崎家の敷地内にあり、「瀬田東広場」に付随している。
わが国の現状は10年過ぎてみれば、太陽光パネルを世界で一番率先して国中に張り巡らし、21年時点の総設置面積は「約788〜1,182 ㎢」でおよそ琵琶湖二つ分弱の広さにあたり、これが分散して山を覆い緑化の喪失につながっている。経済産業省や自然エネルギー財団の26年最新報告によると、一貫して日本の太陽光発電の累積導入量は純増し、直近3年間で設置面積としても約81 ㎢(山手線の内側の面積の約1.3倍分)が新たに日本国内に敷き詰められた計算となるようだ。
ただ発電総量からパネル数が算出されるので、パネルの性能も上がり、設置面積の例示は目安という観方が必要であり、最近では山林等を切り崩して大規模なメガソーラーを建設する開発傾向は「急減」している。今の取り組みは工場や商業施設の「屋根置き」の急増、コーポレートPPA(電力購入契約)の普及、営農型(ソーラーシェアリング)の広がり等に力点が変わっている。最近、大雨で見られる土砂崩れに関わるソーラー発電所の被災は、FIT価格が高いときに参入し、何らかの理由で建設が遅れていた物件という実態があるようだ。
森林伐採の問題
クーラーが普及し始めた頃、70年代はまだ、窓を開ければ夜を凌げていた。今では24時間つけっ放しでクーラーを回さないと、熱中症になる心配が日常だ。勿論、地域によると思うが、異常な温暖化の傾向は、世界中で起きている様々な災いを見れば明らかである。
70年頃から森林の減少を調べてみると、わが国では森林面積は一定を保ち約2,500万ha(国土の67%ぐらい)で、これは日本人に伐採したら植えるという循環の思想が根付いていることを証明している。ただ、天然林が人工林に変わり(拡大造林政策)、いわゆる豊かな森ではなくなり動植物の多様性が失われるという面も指摘されている。又、当時輸入木材が大量に流入し採算が合わなくなり、手入れがなされない放置林の問題もあり、豊かな森の喪失が増えるという問題も明らかになっている。以上から類推すれば、広葉樹林の減少と熊の出現には因果関係があるように思える。
太陽光パネルの設置や開発等で森林の減少を憂いていたが、森林量の全体からみれば大勢には影響は無いようで、円高傾向が幸いして国内木材の需要が活発となり、輸入に押されて出荷されなかった木材の出番が来て、森林備蓄量としては世界屈指の状況となり、林業の再活性が進めば資金的な余裕の中から、現状の痩せた森林にも目が向けられるという希望がある。豊かな木材資源国は「山人」に資金が巡ってこそ成せるものと思う。
山は希望が見えてくるかもしれないが、里では危機的な実態がある。60年から半世紀で185万haの農地が消失し、特に田んぼが110万haを占めていることは水面の減少を意味し、気温の変化に影響を及ぼしていることは想像に難くない。この農地の減少規模は東京都の面積の8.4倍ぐらいで、その要因は「転用(宅地、工業用地、道路、太陽光パネル設置など)」と「荒廃(耕作放棄)」があげられているが、個々の農民には気候変動など思いも寄らないことだろうから事情を問うことは難しいが、緑豊かな里山の中心に位置する田んぼの減少は、気候変動の大きな要因だと政策担当者は肝に銘じるべきである。

残された樹林帯 国分寺崖線は緑を多く残しているが、岡本2丁目の静嘉堂文庫の崖の森は有数の樹林帯であり、又、ここ以外に「大」二子玉川において並ぶとすれば、丸子川を下って順に瀬田4丁目・玉川病院下、上野毛2丁目・上野毛自然公園、野毛3丁目・旧小佐野邸、迎賓館と残されている。施設や公園に付随しているのでどうにか開発の手から守られている。小佐野邸の迎賓館はおよそ6,000坪と言われ、一番大きな樹林帯を「第三京浜国道」の脇で誇っている。管理は「国際興業」となっているので、開発の危険を将来に孕んでいると言えなくもない。
70年代から世界の森林は急速に減少している。国連食糧農業機関によると90年から25年までの35年間で、4.9億ha(日本の国土面積の約13倍)が消失し、アマゾンの熱帯林や、アフリカにおける減少が多いという事は、赤道付近に発生する「エルニーニョ現象」に影響していると想像できる。世界的な気候変動の大きな要因となっているのではないか。理由があって減少しているのは間違いないが、その理由を一つ一つ解明し伐採ではない方法探るとか、生活改善・支援とか国際社会が検討を要する問題の一つである。
人類の生存の岐路
温室効果ガス削減に熱中するのは間違いなく利益が絡んでいるからであって、第三世界の人が生きる為に行う伐採や、先進国からの要請などで減少する森林・熱帯雨林(当然日本も減少に一役かった。ただ植林する日本精神は伝えられていると念願する)、やせ地で活発に行われる焼畑農業等を止める為には、それ以上に見合った対価が与えられない限り防げないだろう。それを誰がする。誰の利益になる。例え効果が疑問視されても再生可能エネルギーを続けるのは、誰かが儲かっているからだろう。世界人類の為という宗教が日本にもあったが一般的にならず、科学文明の発達に伴う犠牲に目をつぶって向かうしか、方法は無いのかも知れない。
悲しい現実
日本は中国との友好を願い、ODAによる支援を通じて様々事業を続け、人的交流も重ねてきたが中国はあくまでも独善的だったようで、近頃はパンダが一頭も居なくなるなどの手のひら返しが続いている。日本人の拘束や暴力などは詳細が不明なので甘んじて耐える以外にないが、90年代後半から日本の官民と中国人民が共同して推進した緑化活動(NHKでも良く放送されていた)の現在は、「退耕還林」から「退林還耕」へと中国政府の政策変更により、穀物畑への転用の為に伐採・撤去が進んでいる。黄砂対策や砂漠緑化などを目的とした植林事業だったが、「クブチ砂漠」などの本格的な砂漠地帯は、転用が無理なのか残されているようだが、長年の努力が無に帰したのは現実のようである。民間の努力が主体だといっても、その裏には税金があり日本主導の対中植林事業は、無用の長物かのように終焉を迎えている。緑化という観点で、畑になるという事ぐらいがせめてもの慰めで、かの国には手も足も出せない「達磨の日本」と諦めるより仕方がない。


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