二子玉川に関する事

二子玉川に関する事

江戸の台所を支えた「多摩川下流用水(仮称)」③

ニケ領用水の実情=その担った役割 天正18年(1590)は徳川家康が江戸に入城した年であり、偶然、多摩川は大洪水に見舞われている。「多摩川南流」が続いていた時代で、川崎市域(稲毛・川崎領など)の一部の土地を北側(左岸)に分断して、その流れは...
二子玉川に関する事

江戸の台所を支えた「多摩川下流用水(仮称)」②

【狛江】次大夫は神として祀られている 狛江市の和泉には六郷用水取水口があり、取水口が破壊された記録や、岩戸付近では用水路そのものが破壊されたとの記録もある。六郷用水のできる前、取水口近くに六所宮という神社があり洪水で流されてしまい、場所を移...
二子玉川に関する事

江戸の台所を支えた「多摩川下流用水(仮称)」①

六郷用水が六郷・大森を一大穀倉地帯に変えた 六郷用水は多摩川上流の水を活用して、下流の大三角州である大森・六郷の灌漑を行い、徳川領地の水田開発を実現した。六郷周辺には世田谷の湧水を集めて流れ下る「吞川」しかなく、そこから汲み上げて活用するに...
二子玉川に関する事

「大二子玉川」という観点

「二子玉川」という呼び方で思い浮かぶもの 現代に生活していて、一度でも「二子玉川」に訪れたことがある人に思い浮かぶ風景を尋ねた場合、お年寄りは「玉川電気鉄道(通称:玉電)」やその遊園地とか、河川敷の料亭での川遊び、あるいは現「高島屋」の裏側...
二子玉川に関する事

プロローグ 「なんで二子玉川?」

二子玉川という「地名」は存在しない=001 二子玉川「郷土史会」の話として、ウィキペディアや「二子玉川ライズ」のホームページでは、対岸の「二子(ふたご)」村と「玉川」村を合わせたという説が紹介されている。 この説を裏付けるのは、「目黒蒲田電...
二子玉川に関する事

双子のような「二子(ふたご)」と「玉川」 その①

何で二子玉川という地名が出来、名のもとになった多摩川両岸の同一性を、歴史的な流れから探ることで、二子玉川が地域の中心になってきた現状を明らかにする。
二子玉川に関する事

双子のような「二子(ふたご)」と「玉川」その②

二子玉川という「地名」は存在しない=003 土地を巡る種々の因縁を縦軸(時代軸)に、大山街道が「二子の渡し」を介して両村を貫通する生活軸(横軸)が絡み合い、多摩川の河岸地域という「相似 」と「相克」が両地域には見て取れる。 第四の視点 兄弟...
二子玉川に関する事

双子のような「二子(ふたご)」と「玉川」 その③

二子玉川という「地名」は存在しない=004第五の視点 多摩沿線道路と多摩堤通り 多摩沿線道路(川崎市主要地方道幸多摩線(さいわいたません))は、神奈川県川崎市幸区河原町から川崎市多摩区登戸新町に至る、主要地方道に指定されている政令指定都市の...
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「多摩川」を挟んだ二つの村 ①

二子玉川という「地名」は存在しない=005兄(姉)たる二子(ふたご)名称の由来と概観(高津区の説明から引用) 古代から橘樹郡(たちばなぐん)に属していた地域です。ヤマトタケルの東征説話に関連したオトタチバナ姫の話が伝えられ、また、その話に関...
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「多摩川」を挟んだ二つの村 ②‐1

二子玉川という「地名」は存在しない=006弟(妹)たる「瀬田」そして玉川 その1 荏原郡とその後 この地域は古くは「荏原(えばら)郡」と呼ばれ、「新編武蔵風土記稿」によれば、奈良時代に荏(荏胡麻)が繁茂していたため、「荏の原」と呼ばれたこと...