西北

二子玉川の小泉次大夫②

二子玉川の小泉次大夫にまつわる『三題話』1、原家には「植松氏」の血が流れている 玉川4丁目の原家は、昭和9年(1934)玉川に定着して、昭和11年(1936)玉川瀬田町605番地(現在の瀬田4丁目環八通り沿い)において「二葉練乳商会」を興し...
西北

二子玉川の小泉次大夫①

四ケ領用水について 天正18年(1590)徳川家康は小田原後北条氏滅亡後、豊臣秀吉の命により関東に移封され、ただちに力を入れたのは街道の整備と農業生産の拡大だった。 当時、多摩川沿いの村々は川の流れに接しながら水利が悪く、荒れ地、砂礫の草原...
二子玉川論

驚異の大発展 「玉川」に力が集積した

二子玉川という「地名」は存在しない=009第一段ロケット点火=玉川電気鉄道= 大正から昭和初期にかけて風光明媚(めいび)な観光景勝地として多くの人を招き入れた。目の前に一級河川の多摩川が流れ、後背地の国分寺崖線(がいせん)には緑豊かな丘があ...
二子玉川論

「多摩川」を挟んだ二つの村 ②‐2

二子玉川という「地名」は存在しない=007弟(妹)たる「瀬田」そして玉川 その2瀬田・玉川の文明開化 玉川電気鉄道(玉電)の企業努力 行楽地として恵まれた自然を見逃さず、農地だけという土地がかえって有効となり、明治40年(1907)「玉川電...
二子玉川論

双子のような「二子(ふたご)」と「玉川」その②

二子玉川という「地名」は存在しない=003 土地を巡る種々の因縁を縦軸(時代軸)に、大山街道が「二子の渡し」を介して両村を貫通する生活軸(横軸)が絡み合い、多摩川の河岸地域という「相似 」と「相克」が両地域には見て取れる。 第四の視点 兄弟...
二子玉川論

プロローグ 「なんで二子玉川?」

二子玉川という「地名」は存在しない=001 二子玉川「郷土史会」の話として、ウィキペディアや「二子玉川ライズ」のホームページでは、対岸の「二子(ふたご)」村と「玉川」村を合わせたという説が紹介されている。 この説を裏付けるのは、「目黒蒲田電...
雑感

素朴な確率的信仰論

民主主義も死につつある 安倍晋三元総理が暗殺されてからこの方、3代の総理大臣により外国人の流入が促進され、当初は国保未納の状況とか、犯罪の動向とか、外免切り替えの実態や、土地等の取得、民泊・白タクの問題など、分からないようにされていたが、最...
東南

二子玉川の「宝塚」? 川上児童楽劇団

波瀾万丈の物語川上 貞奴(かわかみ さだやっこ、戸籍名 川上 貞(旧姓:小山、小熊説もあり)明治 4年(1871)東京・日本橋、両替商・越後屋の12番目の子供として誕生 新政府の時代となり銀行が誕生し、生家は没落、7歳の時に葭町(人形町あた...
雑感

住めば都と風が吹く

私のように辿りついたというか、何らかの理由で居付いた人たちの殆どは、この土地が体験した昔の困難や苦労を知る由もなく、今のあらゆる面で安定し様々な商業施設が身近にある生活から、「素直にいい所」だ、「緑が豊かで川もあり住み易い」という気持ちで住...
雑感

日本語の現在地を考える

イタリアで開催されている冬季オリンピックにおける日本人選手の活躍は目覚しいばかりで、極東の小国と位置付けた「司馬遼太郎」に倣ことはおこがましいけれど、その小国の日本が世界を向こうにして、近年は五輪に限らずあらゆる分野で活躍する。つい100年...