二子玉川B

「多摩美」の種が流れ着く

現在の多摩美●都心にもアクセスしやすい多摩美の原点 都心部から至近の上野毛キャンパスは、首都圏西部に連なる緑豊かな住宅地に接する教育に適した立地にあります。昭和64年(1989)美術学部二部が上野毛キャンパスに開設され、フィルムおよびVTR...
親・三島

鎌倉時代の旗が、最初に立ち上がった地―三島に立つ

鎌倉幕府は頼朝以降の3代を以て変質し、執権北条氏が結果的に権力を簒奪したとも見えるような経過を辿り、更に後半には北条氏の家臣の管領長崎氏が実権を握るに至り、権威の在り処は薄れ、150年体制は阿鼻叫喚の内に破綻した。   この幕府の主役の三者...
雑感

歴史はつながり、人もつながっている

瀬田玉川神社 瀬田、玉川地区の氏神。二子玉川では唯一、神職が常在している 一人の人間の誕生は確率的には「億では全く及ばない」単位といわれても、普通、人は「意識もない状態」から当たり前のように大きくなっていくので、日常その自らの特別さを感じる...
二子玉川Ⅾ

宇名根の『送電鉄塔』と近隣の鉄塔の幾つか

宇奈根で見られる送電鉄塔は全部で6基あり、二子玉川駅から2㎞以上離れているからだろうか高い建物が少なく、かつて農村だった雰囲気が地域全体に感じられ、そうした中に鉄塔も郷愁を帯びているかの様に風景に馴染んでいる気がする。勿論、無骨な鉄骨の塊と...
二子玉川A

堅山南風②

南風さんの辿った道明治42年(1909)同郷の山中神風に連れられて上京した。上京する汽車の中で「南風」の画号を自ら選んだ。「十八史略・尭舜篇」のうち「南風之詩」から取ったものだった。上京後、神風の紹介により高橋広湖門下となった。明治44年(...
二子玉川A

堅山南風①

堅山南風(かたやま なんぷう)さんとの出会い​​ 《岡本長圓寺》 いつもの散歩途上、ふらっと岡本の長圓寺に立ち寄り、お寺に立ち寄る習慣として手を合わせた後に墓地をぐるりと巡ることが多いが、このお寺は本堂に隣接する墓地と道路を挟んだ北側の墓地...
二子玉川論

玉川 番外編

玉川という「河川名」 「玉川」という河川名の成り立ちは、一例をあげれば「田間」を玉としたような土地に根ざす要因や、「玉造部(たまつくりべ)、古代に勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)などの玉類を製造する人たちがいた」「霊魂の「たま」をひそませ...
二子玉川論

二子玉川を広く考える!

「二子玉川」という呼び方で思い浮かぶもの 現代に生活していて、一度でも「二子玉川」に訪れたことがある人に思い浮かぶ風景を尋ねた場合、お年寄りは「玉川電気鉄道(通称:玉電)」やその遊園地とか、河川敷の料亭での川遊び、あるいは現「高島屋」の裏側...
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二子玉川という「地名」は存在しない「五」

兄を乗り越えた「玉川」の総合力玉川の名称に関する考察 河の名称としては狛江市中和泉4丁目、「六郷用水」の取入れ口付近に所在する「玉川碑(万葉歌碑)」に、万葉集巻14の東歌の一首「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき...
二子玉川論

二子玉川という「地名」は存在しない「四」

「多摩川」を挟んだ二つの村 ②弟(妹)たる「瀬田」そして玉川荏原郡とその後 この地域は古くは「荏原(えばら)郡」と呼ばれ、「新編武蔵風土記稿」によれば、奈良時代に荏(荏胡麻)が繁茂していたため、「荏の原」と呼ばれたことを由来とする説明がなさ...