素朴な確率的信仰論

民主主義も死につつある

 安倍晋三元総理が暗殺されてからこの方、3代の総理大臣により外国人の流入が促進され、当初は国保未納の状況とか、犯罪の動向とか、外免切り替えの実態や、土地等の取得、民泊・白タクの問題など、分からないようにされていたが、最近は表面化し論議もなされるようになってきている。

 LGBTQなどという男女の概念を超えた人々を理解しようとする法律が突如制定され、混浴の心配には通達があるといいながら、トイレは男女共有化を進める施設が出現したり、小学校等では既に進行しているとの報道も目にする。女性の社会進出が進み、結婚により姓が変わると不都合があるから、別姓にして子供の命名の選択は裁判所に委ねるなどという。このような問題はおそらく日本の有史以来、初体験となるような社会事象であり、また計算したかのように突然、国民に判断を強制する状況が続き、平穏な日常生活が居心地悪くなると感じるほどの不快さを実感させられている。

 公約になく、あらかじめ議論したのかどうか見えないようにして、陰でこそこそ進められていくのが実に気持ち悪い。政治やメディアや行政が一定方向に向かってグルになっているような気配も感じられ、民主主義のあるべき姿にほど遠く暗澹たる気持ちがしている。高市総理が誕生して、歯ぎしりしながら「白紙委任してない」と空しく吠えている御仁、国民だって代議士に白紙委任までしていない。どの口が言うかと腹立たしい。

永安寺 大蔵6丁目 門前を旧六郷用水が通っていた(暗渠)

実感できる神の存在

 こんな時にテレビから「毎日 難儀なことばかり 泣き疲れ眠るだけ」「日に日に 世界が悪くなる 気のせいか そうじゃない」と朝ドラのゆったりとした曲調の主題曲が流れてきた。実にしみじみし「そうだよな」と深くため息する。「どうなってんだ」今の日本はと憤るも、このドラマの舞台は明治維新後の下級武士の困窮が主題の一つなので、その当時の天地がひっくり返り先行きを見通せない人間の気持ちが込められている。(詩は小泉節子の「思い出の記」を読み込んで作られているそうだ)

 歌詞と曲調に共鳴するということは、つまり今日の日本は当時と同様に価値観が大きく変わる絶壁に立ち、足の踏ん張りどころと気づいた民意(曲の後押しがあったと思うのはうがち過ぎか)は、頭を押さえ続けられていた高市総理を誕生させた。体制に順応し、利権絡みに見える一定数の有力議員や勢力の圧を乗り越え「女性指導者」の登場。これ以上にない絶妙な転機を得ることとなった。

 日本はそもそも「天照大神」を祀る国であり、やっぱり神様のような存在が感じられ、うすらぼんやりとした確信のようなものを抱く。

 鎌倉幕府が5代目執権・時頼の頃から、将軍政治が変質し内部の粛清を重ねて「得宗専制」に移行しつつあり、中継ぎ的な2代を挟んで得宗家嫡男の「時宗」が18歳で第8代執権となった。鎌倉幕府に常に付きまとった内部混乱、庶兄や反乱分子を排除するという厳しい現実を体験したこの時宗に、高市総理が重なるような気がする。厳しい状況に立ち向かう「若輩」と「一匹(女)狼」、対峙するのは片や「大蒙古帝国」であり、此方「アメリカ合衆国」「中華人民共和国」となる。

慈眼寺 瀬田4丁目国分寺崖線上 位置的に二子玉川地区の中心

時宗「待ったなし」

 初戦の「文永の役」を九州武士団の奮闘で乗り切ると、7年後の「弘安の役」までに異国警護番役の拡充、博多湾に石塁を構築、北条一族を九州の守護に相次いで任命、下向させ、また御家人だけでなく寺社など非御家人からも兵糧の調達を実施し、西国の支配権を強化して待ち受けた。

(文永・弘安の役に関しては時宗の対応能力の素晴らしさがあり、強いて言えば時宗の時代だったという強運を強く意識したい)

 「神(天)は自らを助くるものを助く」を地でゆく弘安の勝利で植民地化を免れたが、対外戦争であり御家人への見合った恩賞がなく、幕府の凋落はこの時から始まったといえるのかもしれない。時宗は心労がたたり、病を発症し若干34歳でこの世の人では無くなり、約50年の後(のち)、第14代執権高時の代で鎌倉幕府は滅亡した。

 不吉な例示をしたが、千年前も現在も同じ、権力は利権で右往左往し、誰かが泣き誰かが笑う。内から外から圧迫が覆い被さる厳しい状況、くれぐれも健康には留意して「女らしく」しなやかに、古色蒼然とした霞が関世界を大掃除して欲しいと願うばかり。神が見守っていると信じられれば困難も乗り越えていくことが出来る。

行善寺 瀬田1丁目長崎氏縁の寺 徳川将軍が富士山の見物に訪れた

確信の在り処

 ある日、飛行機に乗っている。車で道路を通行している。あるいは登山で山頂を目指している。それが墜落したり、140㎞で暴走する車両が赤信号を無視して突っ込んで来たり、山では雷に当たるとか突然の噴火に遭遇する可能性も無くはない。こうした事件・事故は情報機関の発達により、目にしない日がないほど日常的な気がするが、一人の人間がこうした状況に遭遇する確率は、上記の例では「雷」「噴火」は100万分の1、「飛行機」は少し高くて100万分の2、車でも死傷事故に遭う確率は0.2~1%といわれている(数字は単に目安として例示した)。

 事件・事故に遭遇する例は身近に無いという人が大多数で、それ故、何の心構えも必要とせずに生活している。それが普通であり、事故に遭ったのは因縁・因果によるとか、行いが悪かったなどと宗教的な発想は毛頭ない。逆に事故に遭ってみて、宗教に縋る人はあるのかも知れないが。

 私なんかは心配するということではなく、遭遇するかもしれない、可能性は捨てきれないという漠然とした気持ちが胸の奥にある。奥の方なので日常に不安を感じさせるほどにはならない様だ。子供が小さい頃、二人いて、手をつなぎ歩くのが習慣で、交差点で立ち止まる時には、妻は人並みの後方に下がっていた。特に話し合っていた訳ではないけれど、自然と感性は共通していた。加えてよくしていたことは遠出するときに、行きと帰りには子供と仏壇に手を合わせていた。

 胸の奥にある小さな不安は、こうしたささやかな行為やご先祖への依存で多少、解消されているのかも知れない。朝ドラの話題を前項で取り上げているが、主人公の「小泉八雲」は日本人の宗教に関して、外形的には仏教と神道が社会や生活の中で根付いていると言っている。そして彼が最も注目しているのは「祖霊信仰」であり、そのエッセイ集「心」の中で、「日本とは事実上いまだに死者に支配されている国だ」と述べ、荘厳な宗教施設が民の寄進で建てられる、亡くなった天皇のために何十万という農民が落慶式に集まり、筵に座り式の始まりを何時間も待つ、という光景を見て実感したらしい。これは目立った一例であり、おそらく松江の生活で各家々の仏壇に人々がお供物を供え、手を合わせ語り掛ける様子を見知っていたことが根底にあったように思える。

 日本の長い歴史は、生きている自分たちと亡くなっている物凄い多数の魂が渾然として紡がれている。日本の祖霊信仰は確信の元であり、己の心の持ちようのみ誰にも迷惑の掛からない信仰、仏壇の前で手を合わせる行為により少なくも家庭内の安心、安全?は保たれているように思う。

【付記】

 小泉八雲さんは来日した後、学校の先生となり高給が保証されていたが、晩年はその著作の印税で生活していたようだ。大東亜戦争の最中、米国からの印税が滞りご苦労もあったようだが、敗戦を受けて天皇の戦争責任が問題になったとき、GHQ司令部に八雲さんの著作に感化されていた人物がいて、もしくはマッカーサー自身が目を通していたのか、「天皇を利用する」方針が定まったと言われている。

 八雲さんの著書が天皇の身分を保つ助けとなったことを思うと、神は影日向ご活躍下さっているという「お話」。

プロフィール
主宰・管理人
原 一六四

●二子玉川で二十幾星霜、まだ“新住民”の範疇で、環境の良さ、便利さをただ享受しています。
●でも二子玉川を散歩し調べてみると、殊の外、奥深い歴史を内包していることが分かりました。
●子供たちが歴史や文化を学ぶ機会は少ないようなので、ただ生活した思い出だけの“ふるさと”では寂しいと感じ、いつか目に留まる機会を期待して、土地の物語を紡ぎます。
●この土地にしみ込んだ多くの人の営みの記憶を 、出来るだけ“堀上げ” 整理することが目標です。

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