二子玉川 “真打の目印”

東西南北、上下、高島屋標章(ロゴ)を巡る

全体を俯瞰する

東西南北の目安は測ったものではなく感覚的な例示となる

 昭和44年(1969)玉川高島屋ショッピングセンターが開業した。それまでは玉川1丁目の「読売遊園地」に大落下傘塔があり、地上高50メートルもあったので存続していれば地域の目印(ランドマーク)なり得たが、戦後、江ノ島に移築され展望塔になっている。
 その後、駅前に7階建ての「富士観会館」が建設され次の目印となったが、二子橋近くの多摩川沿いの立地では目印としては役不足の感もあった。(平成15年(2003)閉館、取り壊されている。)
 高島屋本館は6階建てでも、屋上に設置された「巨大看板」が二子玉川一帯の全方向から確認でき、文字通りの実質的な目印に躍り出た。建物との比率を見てもかなり巨大であり、計算されているのか戦略性が感じられる。構造物の詳細な情報に関しては公表されていない感じ。

 高島屋の正式名称(商号)に対し、標章には「髙(はしご高)」の字が使われている。「高」という文字は辞書に掲載される「正しい文字」で正字と呼ばれ、「髙」は俗字または異体字とも呼ばれ、「渡辺」が「渡邉」や「渡邊」、斉藤が「斎藤」や「齊藤」などになったように、昔手書きでどこかに登録するときに、誰かが「髙」の字を使ったということのようだ。
 NHKの朝ドラ「ばけばけ」で主演している「髙石あかり」さんに対し、活字が無いのか( )書きで“はしご高”という説明書きがお約束のように付加される。テレビ番組欄にも「髙」の文字は無いみたいで、昔の組版のような鉛の活字の時代ならともかく、AIの時代なのだから普通にサラッと「はしご高」の文字を利用しないことを不思議な感じで眺めている。

 東側には二子玉川ライズが出来たので、国分寺崖線上からしか見られなくなった。その代わりというか、ビル群の上から見下ろすということができるようになった。

写真:上左 ドックウッド・プラザより  上右  北側よりの夜景
下左 休業したガーデンアイランド  下中  エクセルホテル  下右 ドックウッドプラザより

国道246号線

 高島屋の裏(西側)をうねる様に通る国道246号線。二子玉川までが「玉川通り」、多摩川を渡れば「厚木街道」に名称が変わる。

 246号線旧道の歩道橋から  右上  大きく曲がって川崎へ向かう  右下  川崎から来て旧道(右)とバイパス(左)が合流

店内屋上から

左上 西側駐車場 左下 南館休憩スペース  中左  本館、南館連絡通路  中右  本館屋上芝生広場      南館レストラン階より

風景に色を添える

 2024年川崎100周年でのブルーインパルス  羽田の航路変更で二子玉川でも旅客機(青丸)が見られるようになった  東側の風景、東急田園都市線の車両

東側より

左右  左側の一番の場所。行善寺の風景。右は徳川将軍が眺めた構図   玉電緑道の南端、田園都市線が地下に入る位置

南側より

 兵庫島付近の土手から  野川の浄水設備の付近   旧富士観会館裏当たりの旧堤防越し、この付近は昔のような高島屋の風景の存在感が見られる

西側より

中左 鎌田1丁目の河川敷 中右 吉沢橋越し  谷川緑道より、この付近も昔のような高島屋が見られる

北側より

上左中 二子玉川小学校より 上右 ガーデンアイランド脇坂(仮称)より
下左 玉川病院坂(仮称)より 下中、右 玉川4丁目より、こちらも昔のような風景で、二子玉川小学校で
は「高島屋が見える学校」という表現があったような気がする

雲が彩る

川崎からの眺め

 多摩川上流、玉川3丁目  多摩川下流、玉川1丁目

プロフィール
主宰・管理人
原 一六四

●二子玉川で二十幾星霜、この地が“青山“となる予定。元より新住民ですので、これまでは環境の良さ、便利さをただ享受するだけでした。
●数年前から散歩し調べたりしていると、殊の外、奥深い歴史を内包する土地の姿が浮び上りました。
●子供らが土地の歴史・文化を学ぶ機会は少ないような感じ。生活した思い出だけの“ふるさと”では寂しい、知っているのと知らないのでは、人間観・人生観に醸し出す味わいが違ってくるように思います。
●この土地にしみ込んだ多くの人の営みの記憶を “堀上げ” 整理することが目標です。

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