二子玉川という「地名」は存在しない=008
玉川の名称に関する考察
河の名称としては狛江市中和泉4丁目、「六郷用水」の取水口付近に所在する「玉川碑(万葉歌碑)」に、万葉集巻14の東歌の一首「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」が刻まれている。又、別の歌には「多麻河」という表現が見られるそうだ。
「玉川碑」は元土佐藩士の平井薫威(しげたか?)が、地元の名主宅に逗留していた文化2年(1805)に建立、多摩川に近い場所だったので文政12年(1829)の多摩川の洪水によって流失したが、時は流れ、幸い松平定信(さだのぶ、白川藩主)揮毫の拓本が見つかり、定信を敬慕する人つながりで渋沢栄一の助力が得られ(講演と資金援助、全体の4割強)、大正13年(1924)に現在地に再建された。
私が注目するのは、何故、多摩川ではなく「玉川」という名称を碑に付し、のみならず「陰記(いんき、裏面の銘文)」でも玉川を用い、更に再建前の大正11年に渋沢栄一が起草した「撰弁書(せんべんしょ、碑を作った当事者の文)」では、川名、地名、会名など全てが「玉川」となっていること。どうやら玉川は、渋沢栄一が地元人ではないことを考慮すると、地域では一般的な名称だったようで、和歌で詠まれている「多摩川」の場所はその内容から当地に違いないと、平井薫威かあるいは大正の再建に携わった人らは断定したのかもしれない。
「玉川」は大蔵から始まる
「石井至穀(しこく)」は大蔵・鎌田の名主の家柄で、4代前の祖先には江戸内で唯一といわれた「大名」喜多見氏の庶子(しょし、本妻以外の子)を養子に迎えている名門の跡継ぎ。至穀は努力を重ねて徳川幕府の幕臣となったが、喜多見家との関係や4代前の当主、兼重(かねしげ)が、元禄3年(1690)当地に初めて玉川という名称の「玉川文庫」を創設し、その88年後に生を受けた「至穀」は文字通り書物に囲まれて成長した。世田谷で最初の図書館と言われ、それを有効活用し出世するという偉人伝風の筋書きも見逃せない。
兼重が「玉川」の名称を採用した理由は定かではないが、古い文書に「多摩川」の美称に「玉川」があったということから、「家塾菅刈学舎」を起こし玉川文庫を併設するぐらいの教養人には、選択の優先順位が高かったのかもしれない。
2番目は中町・等々力
明治8年(1875)中町・等々力地域に「小学玉川学校(現玉川小学校)」が開校した。荏原郡の中では「小学荏原学校(現若林小学校)」に次いで2番目の開校で、荏原学校は一番目の特権か郡名の「荏原」を採り入れる。その伝で言えば、適当な地名が無い状態で、しかも上野毛、瀬田、用賀等の複数の区域に跨る場合の校名選択は難しいのは当然で、額を集めて侃々諤々の議論の上(想像)、約200年前から地域にあった前述の「玉川文庫」の名が思い浮かんだような気がする。(普通に「多摩川」では味わいが薄いと考えたかどうか)
その後、明治22年(1889)の市町村制の施行により、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して「玉川村」が成立した際には、村名に関する瀬田村と等々力村の対立があり、地域の学校であった「玉川小学校」の名前を採用することで妥協がなったという例もあり、人々が有する愛郷心のようなものは、土地に根付いて生きている時間が長いほど愛着が増すのだと言えなくもない。
そして長崎氏の存在
地域第一の有力者、瀬田「長崎氏」についての勝手な想像でこじ付けだが、私は瀬田の長崎氏が、鎌倉幕府執権北条氏の内管領長崎氏と遠縁で連なるという風に見ている。北条氏の本拠地「現、伊豆の国市」には、伊豆急原木駅近くに「長崎」という地名があり「長崎神社」も存在している。そして直線で約2㎞の所に名水で有名な「柿田川湧水群」があり、その公園に沿って「駿東郡清水町玉川」、並ぶように国道1号線沿い三島方向に「三島市玉川」が存在する。1100年代の鎌倉時代、1500年代の後北条氏の時代に地名として存在していたかは不明(駿東郡の玉川村が幕府旗本領との記録あり)。私の推測は村名決定に際して、祖先の地の「玉川」が念頭に去来したのではないかと推測している。
夢の学校 玉川学園
「小原國芳(くによし)が、私立成城玉川小学校を開設する時、牛込にある成城小学校と区別するために「玉川」の字を用いたと言われている。近接する「多摩川」も意識したが、江戸時代の刷り物はこの地域を「玉川」と呼んでいたことから、「わかりやすく、書きやすい、感じがよい」という理由で採用した。その後、成城小学校は砧に移転し、成城玉川小学校を併合、玉川の名前は消えた。(現在の成城学園)
一方、成城小学校を離れ、全人教育を目指した夢の学校=「玉川学園」を小田急線の沿線(町田市)の丘陵地に昭和4年(1929)設立し、玉川の文字は維持されている。(小原國芳さんの説は納得できる)
周辺では「多摩川」も採用されている
大田区の第二京浜国道と環八が交差する東南側辺りの地名は「多摩川」であり、マンション名では丸子多摩川、東急多摩川線「多摩川駅」付近は圧倒的に「田園調布」冠が多いが、蒲田方向へ向かうと鵜の木辺りを境として沿線のマンションに多摩川名が増えてくる。又、狛江にも和泉多摩川駅がある。
地区内でも、多摩美術大学(上野毛)、多摩川テラス(瀬田)、ドエル多摩川(上野毛)、多摩川ハイツ(大蔵)、グレース多摩川・マリオン多摩川(鎌田)、多摩フラット(野毛)などが、グーグルマップで確認される。
玉川の行政区割りの変遷
★明治22年(1889)奥沢、尾山、等々力、下野毛、上野毛、野良田、用賀、瀬田の8村が合併して「玉川村」となり、各地区はそれぞれ大字となり「瀬田村」は玉川村大字瀬田となる。
★明治45年(1912)府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となる。
★昭和7年(1932)10月 世田谷区成立時に、玉川村大字瀬田の区域は次大夫堀を境として、北側が玉川瀬田町となり、南側の上耕地、中耕地、下耕地、根耕地、提外、向河原が新設の玉川町となる。
現在、二子玉川地域以外で残る玉川の地名としては、近隣に玉川田園調布と東玉川の2ヶ所あるが、かつての「玉川村」が整理されていく中で分散し残ったものと言われている。(玉川中町公園、玉川野毛町公園にも残されている)
玉川地域の先見性と独自性
昭和22年(1947)東京35区の統廃合の時に、旧・板橋区の中で、西部の練馬地域が独立を求めたのに倣い、再び世田谷区から 「玉川区」として分離独立を主張、都に建議書を提出した。(1回目は昭和7年(1932)世田谷区成立の時)当時から広い地域だったので、きめ細かい行政が期待できないという思いが住民にはあり、それが正に慧眼で今日90万人を超える「大区」となって、動きが鈍く身を持て余すような現状となっている。住民の運動は実現しなかったが、今でも旧玉川地域民が有した世田谷から分離したいという無意識が現存する。玉川地域の独自性の例を挙げる。
●玉川地域には「世田谷」と冠した公共施設がない。
●医師会は玉川地域のみ「玉川医師会」であり、他の地域は「世田谷区医師会」。
「玉川医師会は、昭和27年に世田谷区医師会より分離独立して玉川医師会として発会し、平成25年に一般社団法人玉川医師会となった世田谷区の南側を中心とする医師会です。」
●薬剤師会は玉川地域・砧地域と烏山地域の一部が「玉川砧薬剤師会」であり、その他の地域は「世田谷薬剤師会」である。
●電話番号の3ケタ目は、玉川地域以南が700番。世田谷を含む4地域が400番である。
●衆議院選挙小選挙区の区割りでは、世田谷を含む4地域が「東京都第6区」であるのに対して、玉川地域は目黒区と共に「東京都第5区」である。(少し古い情報、区割り変更で多少変わっているかも知れない)
第一の推進力「玉電」が選択した「玉川駅」
この地域の大正の時代の地名は「玉川村大字(おおあざ)瀬田」であり、小字(こあざ)では「中耕地」「瀬田河原」などと呼ばれていた。玉川村は奥沢までの広域な村で、現在の玉川地区は「崖下」の辺境地(村の端っこ)で農地ばかりであり、こうした状況でも明治40年(1907)玉電開通に際し駅名に「玉川駅」を採用するが、単純には〝玉川村の中で初めて〟の鉄道駅であったからといえなくもないが、辺境地が村の中心になる(する)という予感(決意)があったような気もする。 因みに、この辺境地が正式に「玉川」という地名になるのは、昭和7年(1933)世田谷区が成立した時で、この時の合併8町村はそのまま町名に「玉川冠」を暫く載せていたが、新設の形となった「玉川町」は玉電の予感?の如く一人、独立した町名となった。
味わい深い公共施設の命名
二子玉川駅 玉川福祉事務所 二子幼稚園(東京都市大)
二子玉川公園 玉川ボランティアビューロ
二子玉川ライズ 玉川税務署
二子玉川地区会館 区立玉川3丁目住宅
二子玉川小学校 玉川歯科医師会
二子玉川緑地運動場 玉川高島屋
二子玉川社協 玉川高校(昭和30年創立)
玉川病院(瀬田にある)
大雑把に言うと比較的に古い施設は「玉川」、新しい施設は「二子玉川」ということのようだ。二子玉川小学校は順当なら「玉川」小学校となるところ、創立から80年(令和3年)でも、等々力には148年の「玉川小・中学校」があり、如何ともしがたい。
「玉川高島屋ショッピングセンター」と、後から出来た「二子玉川ライズショッピングセンター」の違いも、基本は古さの違いとみて間違いないが、いずれも二子玉川という名称が普及し駅名も定着している中、高島屋が意識したのは「玉川」という地元であり地元重視の姿勢の表れ、そして簡素かつ美しい調べを採用、「ライズ」は開発の中心「東急」の二子玉川成長戦略をそのまま形にしたのだと概観する。


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