私は、新参者
その為、ネットで溢れる情報や、図書館等の書籍・研究資料から知識を得ています。特にウィキペディアは重宝しているので、寄付の催促が来た時には幾ばくかの協力をしています。
人に尋ねることは殆どしていません。
土地の人が語る地域本などを一次情報として、次に図書館の区の資料コーナーや書籍を二次、ネット検索は三次というような緩い区分けの中で取捨選択しています。特にネット情報では孫引きのような情報も多く、同じ間違いがそのまま取り入られていることがままあります。
従って、できるだけ複数の情報に照らし合わせ「正誤」を判断していますが、確信が持てないものは断定を避け、複数の見方を取り入れるようにしています。
二子玉川を発展させる施設(独断)第1位 玉川高島屋ショッピングセンター

年間来館数 1,680万人、平日約4万人、週末約6万人
規模で言えば「ライズ」が断然一位ですが、高島屋の歴史的な位置づけは、重く代えがたいものがあります。
まさに「炬燵記事」
SNSの世界で情報を集めそれに基づいて書く記事のことを、「こたつ記事」という呼び方をしている方がいます。私なんかは、文字通りその部類で、図書館に足を運んだりはしていますが、多くの時間はネットサーフィン(ちょっと古い表現?)が多い状態です。
ネット情報を探る利点もあります。先述のとおり複数の言説に出会うことです。こうした時には、可能な限りのサイトを覘くことになります。場合によっては、図書館にも出向いてピンポイントで情報の付け合わせをしています。残念なことに、地域情報なんて体系的には残されていませんので限界はありますが、理解できた範囲で取りまとめています。
二子玉川を発展させる施設(独断)第2位 二子玉川ライズショッピングセンター&レジデンス

2023年度、年間来館数 2,625万人。
レジデンス 3棟、最高42階建て、総戸数1,033戸
目指していること
研究論文のような広く深くではなく、ネット情報のような断片的でもなく、出来るだけ「二子玉川地区」を網羅し、地区限定、もしくは関連した情報の集積したサイトにしたいと思っています。
「ふかぼる」という考え方
例えば、二子玉川(当時は瀬田村)は明治の後半ごろから、著名人の別荘地となりました。一番?大きく有名なのは三菱・岩崎家の存在です。別荘というのは文字通り別に立派な本宅があり、二次的な役割が期待された処だと思います。
当地に広大な土地を所有した三菱会社を考える時、初代の「岩崎彌太郎」に触れなくては済まず、そして弟の「彌之助」、更には「彌太郎の子・久彌」、「彌之助の子・小彌太」の息吹・気配が地域一帯で感じられるのです。
そこで「ふかぼる」と、三菱会社の歴史に踏み込まざるを得ず、壮大な物語になってしまいます。
すごく疲れますが、ただ「別荘があった」だけでは終わらせたくないという気持ちがあります。
「掘り下げる」ということ
例えば、鎌田地域というのは長い間、飛び地の村として存在していました。限られた少数の一族?が大蔵地区にまたがる飛び地に分散するという不思議な村でした。飛び地が解消されたのは、昭和7年(1932)に世田谷区が成立し、区内の住居表示等の整理を経て、昭和11年(1936)鎌田・大蔵・宇奈根が世田谷区に編入された時でした。
この地域は、伝承では平安時代の空気が感じられ、「采女」の物語に出会えば、当時の豪族の存在を想定するなど、キリもなく「掘り下げる」ことになりました。
これも又、大変疲れることになります。
「掘り上げる」程度の軽い気持ち
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と論語が伝えるとおり、冗長となることは、なるべく避けなければなりません。独りよがりは嫌われる。という例えもあり、基本は土地の下10cm程度(およそ100年)を「掘り上げる」ぐらいの軽快さをもって進みたいと考えています。
園芸高校の授業に「天地返し」というものがありました。一定の深さで土を上下にして入れ替え、表層の菌や雑草の種を取り除く目的があります。今どきは機械でやる作業でしょうが、学校では当然、農家でも昔は人力で行っていました。土が若返るというメリットがある半面、体力的には負担の大きな作業です。
園芸出の私としては、当時の汗や不平不満を思い起こしながら、土地の表層にしみ込んだであろう汗や涙などを陽光の下に引き出す心持で、極力簡明な地域紹介を心掛けています。
二子玉川を発展させる施設(独断)第3位 楽天クリムゾンハウス

平成27年(2015)1万人余りの従業員を引き連れ、二子玉川に颯爽と参入しました。「コロナ禍」以前には再移転の噂が立ちましたが、モバイル事業の赤字等が禍(当地には幸い?)してか、現在も存在しています。経済的な貢献は大きいものと考えています。
現場を必ず見る
「こたつ記事」は避けがたいですが、先述のとおり「複数の視点」に気を配りながら、現地には必ず出向き、見える景色や土地から得られる空想を大切にして、推理をすることがあります。明らかに合理的と思えれば、推測と注釈し掲載します。
ブログ・タイトルについて
名所・旧跡よりも、今の時代で二子玉川と言えば誰もが思い浮かべるという観点と、地域創造に貢献するという点からタイトルバックとしました。本稿では写真と共に、数値的な規模感を紹介しています。
又、「二子玉川物語」というテーマは、ご存知の方もいるかと思いますが、平成28年(2016)に吉村喜彦が上梓した二子玉川の架空のバー「バー・リバーサイド」で使用されています。一年一冊、3部作ですが、2冊目で本のタイトルになっています。
このブログは結果的には2番煎じですが、作家的な物語ではなく、時代に流れた人々の息吹を感じながら、土地の物語にしたいと思いました。基本、地域紹介ですが、前述のとおり“チョッと掘り上げて”、伝承や歴史に奥行が出るよう試(思)行錯誤します。
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